廣瀬 坦(画家)Hiroshi Hirose

無駄を削ぎ落とし、論理的に最小限の色彩、最小限の形状を追求するミニマリズム(最小限芸術)を信条とする廣瀬氏のアトリエの壁には、幾何学の色面を組み合わせた絵画が実験結果のように整然と並んでいる。私たちが見てわかる「何か」が描かれているいるわけではないが、似ているようでひとつひとつ違う作品それぞれに、なにか感情や記憶が想起されるから不思議である。
大分県出身。父親も画家で、家具デザイナーとして三越百貨店に勤めていたが、1972年に建築の勉強をするために渡独した、ドイツでは「何となく」「直感的に」というような感覚的表現は受け入れられず、「日本人として何ができるか」など、表現と社会との関係性を問われ、試行錯誤したという。ミニマルアートは、1960年代にアメリカを中心に展開された美術表現で建築やデザインにも大きな影響を与えていた。廣瀬氏は、ドイツで出会ったミニマルの論理化に迷いながら〝自分を支える道標がない時期〝を経て、『ミニマルでありながらの日本人のアイデンティティ』を見いだしたいという。
作品の中には、絵の具の代わりに古裂(こぎれ)を使ったものもある。譲り受けた古い着物地には、自分も、見てくれる人にも、日本人ならではの思い起こされる記憶がある。これを通して、祖父母や両親、故郷の思い出や情景を思い出して懐かしく感じてくれたいいなと思う。と語る。
多賀へは、倉田氏との縁があり、父亡き後に母と移住した。九州で絵を描いていると、本州から離れていることや、都市との距離で不安が多かった。もっと自由に解放さたいと思って移り住んだ。今は、この場所が悪いとか良いとかではなく、ここで生きると決めている。「それもまたミニマル」。